防波堤ギャラリー店員編…

防波堤採集に色んなギャラリが付きまとうのは、もはや私にとっては当たり前のようなことなのですが・・・

観光船が舫っているすぐ近くのコーナーを、A君と一緒に、時にはしゃがみ込み、またある時には腹這いになったりして覗き込んでいると、木片が隙間なく浮かんでいるその間からは、小さな「ハナオコゼ」が水を掻き分けて出現したり、ちょっと深いところにはこれまた木片と見まごうほどの「ヘコアユ」なんぞが群れていたり・・・。全く早朝の漁港というのは面白いものなのでありますね。

さて、
(どうしよう?)
A君が目で問いかけてきたのは、
(ハナオコゼ、採る?)
ということでありました。連れて帰るのは吝(やぶさ)かではありませんが、そのあとの面倒のことを考えると・・・というワケです。もちろんコレは私も同じこと。活き餌、タンク・メイト・・・、迷わない方が変ですわな。

が、どうも貧乏性の私たち、
(せっかく来たんだからなあ・・・)
てなことを考え出しますと、やっぱり結論としては、
「連れて行こうよ・・・」
というところに落ち着いてしまうワケ。そこで網を下ろしてコレを掬いにかかろうとしますと…。

「あの〜、何採ってんですか?」
私たちに声を掛けて来たのは、年のころ20代半ばの小柄な青年なのでありました。

(ほら、ほら、ほら〜、来た、来たぞ〜!)
例によって例のごとくの「ギャラリー」の出現に、私は危うく集中力を欠いてしまうところでしたが、ここで助け舟を出してきたのはA君です。
「ああ僕達ですか?いえね、小魚を掬ってるんですよ。ほら、あそこに歩くようにして泳いでいる魚がいるでしょ?アレ採ろうとしてるんですよ。」

と、かの青年、返事を幸い、立て続けに質問を重ねてきたのでした。
「え、どこですか?あ、ああ、ほんとだ。なんて魚なんですか?」
「どこから来たんですか?」
「食べるんですか?それとも魚の研究してるんですか?」
「これ持って帰るんですか?どうやって?」
そうです、お決まりのパターンです。でも私たちもそうそう真面目にお付き合いもできません。「ハナオコゼ」自体はスタコラサのサ!と逃げる魚じゃありませんが、やっぱり集中する必要がありますものね。

すると青年、その気持ちを察したか、少し離れた別のコーナーへと歩いて行ったので、私たちも一瞬安心をして、目の前の「ハナオコゼ」を捕まえて生簀に入れたのでありました。

が、
「あ、あの〜、こっちにも同じのがいますよ!」
大きな声を上げながら、直ぐに戻って来たのであります!

ああ、しかし私たちも欲張りというかなんというか、ああだこうだと横槍を入れられるのが嫌なら、サッサと場所変えをしてしまえば良いのに、
(え、まだいるの?)
気持ちは180度転回してしまうのだから情けない。挙句は一緒になって走ってしまう有様なのですからねえ・・・。

(01.01.11)


防波堤ギャラリー店員編

私たちが青年のもとへバケツを持って歩いて行きますと、残念なことにそれらしき獲物は見当たりません。声を掛けようと目を離したのが良くなかったのでしょう、見失ってしまったのですね。

「あれ?おかしいですねえ・・・」
私は青年の、
(不思議なことこのうえなし)
という横顔を見ながら、思わず吹き出しそうになりました。
(ふふふ、キミ、そんな甘いもんじゃないんだよ・・・)
そんな気持ちがしたからです。

さてちょっとした道草のつもりで寄った漁港でしたが、期待通りではないにしても「獲物」があるとうれしいもので、
「じゃあ、向こうのコーナーも覗いてみようよ」
となるのは当然の成り行きです。そこで私たちは荷物を片付けにかかったのですが、さきほどの青年は離れようともしません。むしろ一緒に行動したい様子がアリアリでした。事実歩きはじめると、一緒に付いて来て、これまた一緒に水面(みなも)を覗き込んだりしてるのです。

そして自然に会話が始まりました。
私:失礼ですが、この近所の方ですか?
青:ええ、すぐ近くですよ。あの〜、東京から
  来たんですよね?
私:ええ、そうです。恥ずかしい話ですが、飼う
  魚を採りに来たんです。
青:え?飼うんですか?そうですかあ!
  実はボクもね、海水魚飼ってるんです。
  仕事も「その筋」なんですよ!
私:えええええ!?

なんと彼は、その漁港の近くにある「観賞魚店」の店員だというじゃありませんか!

私は俄かには信じられない気持ちでした。なぜなら彼は私たちが採ろうとしていた「ハナオコゼ」のことも知らない風であるし、そういう会社に勤めている人間であればコレはもうプロであるワケで、早朝の漁港で網を持っている怪しげな人物、つまり我々を見て
「何やってんですか?」
はないでしょう?

しかも極めつけは歩きながらの次の言葉。
「無脊椎も飼ってるんですよ、ほら、なんて言いましたッケ?ああ、そう『ベロリン』方式ですか?東京でも流行ってるんでしょう?」
です。

「べ、ベロリン??!!、あの〜モシモシ?それを言うなら『ベルリン』でしょ?」
私は笑いをかみ殺しながらそう答えようとしました。

ところが!ふと見た彼の顔というのが、邪気がないというか何というか、「純朴」そのものであったので、私は喉から出かかった言葉を飲み込まざるを得ませんでした。うまく言えないのですが、妙な親近感が湧いてきて、「呼び方」や「言い方」の間違いをことさらに指摘することなんて非常に詰まらないことのように思えてならなかったからなのです。

それからというもの、私たちはすっかり打ち解けてしまって、コッチのコーナー、あっちの隅っこを一緒に覗いて歩いたのですが、そこはやはり地元の人間、道すがらに交わす会話の端々には有難い情報もあったりして、私たちとしては大変に収穫の多い「道草」となったのでありました。

それから何年かが経ちました。きっと今ごろ彼は、
「『ベロリン』じゃなくて『ベルリン』だった!」
ってことに気が付いているに違いありません。

そして私たちのことも思い出してくれてるかどうか・・・?そこのところは、ちょっとわかりませんがねえ・・・。わははは!

(01.01.15)

300円のタイム・マシン

先日のこと、ちょっとした用件で出かけたのは「神田神保町」。無事に仕事を終え、さてその日水槽拝見の約束をしている仲間のお宅に向うべく、
(ここから電車に乗ったとすると、到着するのは何時かなあ・・・?)
と時計を見ますと、まだまだ2時間以上の余裕があるではありませんか。

(しめた、この時間を利用しよう!)
場所柄、私の頭に真っ先に浮かんだのは「本探し」のことでした。軒を連ねる古書店を覗いて歩いたら、何か面白い「魚の本」でも見つかるかもしれません。それに私お気に入りの「TU書房」もそう遠くないことでありますしね。

さて先ず最初に飛び込んだ店ですが、そこは古雑誌ばかりを扱うお店のようでして、店内くまなく探したものの、興味を引くような本はありませんでした。で、次に覗いた店。ここにはお魚の図鑑がありましたが、ちょっと値段が高くて手持ちのお金では買えそうもありません。続く店も同様の結果です。と、気が付くと「TU書房」の入っているビルの前…。私は寄り道をサッサと諦めて、そこへと向う階段を上り始めたのでした。

着いた先、エレベータのドアの前、ウズ高く積み上げられた古本を横目に進むと、そこが目指す「TU書房」です。ここは自然科学系、しかも魚や無脊椎、甲殻類の本が多いので私は大変に好きなのでありますが、さてお魚関係の棚の前にたどり着くなり私の目に飛び込んできたのは1冊の本!
「海水魚・採集から飼育まで ●柴田 清著 鶴書房」
ああ、懐かしや!
しかも値札を見ると、なな、なんと、さ、さんびゃくえんです。

この本、以前はそれこそページが破れるほどに読み耽り、引越しをしようとも必ず持っていったものなのに、どうも見当たらなくなってしまって…。そしてついこないだも家捜したばかりですが、どこへ行ったんだか…。

それがあるんですよ、目の前に!

いやはや嬉しかったですねえ。もちろん私は迷うことなくコレを小脇に抱えてレジへ向ったのですが、よほど慌てていたのか、肩に掛けたバッグがあっちコッチに当たって、回りの本をドサドサと崩してしまう始末。

さあそれからというもの、仲間の家に向う電車の中で懐かしさを噛み締め読んでみますというと、コレがやっぱり面白い。

何が面白いって、この本を知らない人のためにお話しますが、例えば表紙の水槽写真。カクレクマノミ、コバルトスズメ、ツユベラ幼魚などの熱帯系の魚が写っているその横に、オヤビッチャやカゴカキダイ、ナベカ、果てはアミメハギ…即ち「お馴染み近海系」の魚がいるという見事なまでの「混沌さ」。

でもそれが「ダサい」とか「格好悪い」というのではありませんよ。私が面白いと思うのは、
・それが表紙を飾るに相応しい「時代」があった!
ということです。いや、本当に面白いです。

まだまだあります。これも例えば採集に関する記述の中の「岸壁採集」のくだり。私が、
(岸壁で成果を上げるのは、こういう採り方しかないだろう!)
と思ってる方法なんかが、ちゃんと図解つきで紹介されているのですからね。もっともこれは逆かもしれません。私の思いついた方法は、この記述の記憶が底辺にあるのかもしれませんから。

それはともかく、
(昔の仲間も、同じ様なことを考えてたんだ!)
そんなことに改めて気付いてみたりすると、やっぱり面白いんですねえ…。

そして何よりウレシイのは、
・たったの300円で、15、6の頃の自分に戻れる!
ということなのでありまして、ページを繰るたびに、先を歩く仲間と一緒に出かけたM半島やB半島での出来事が、次から次へと懐かしく思い起されてきて、これはまさしく「300円のタイム・マシン」。

フト気が付くと、乗った電車は仲間の指定する駅に到着です。私はそれをパタリと閉じると、寒風吹きすさぶホームに降り立ったのですが、何故だか、どうしてだか、チットモ寒くはありませんでした。

(帰ったら続きを読もっと!)
そんな風に思うと、楽しくて楽しくて、胸が熱くなってきたからでしょうね。


表紙だけご紹介。
「採集から」で始まるところが「そそられ」ますねえ。古い人ならみんな知ってると思う。「北の鉄人」NARUIさんのHPにも紹介されてるね。




(01.01.21)



クラゲに付く魚

「防波堤採集」で採れる魚に「エボシダイ」とか「ハナビラウオ」などという魚がいます。今日はそのお話。

何年か前の遠征。
季節は晩春の早朝。
遠征に行くと必ず覗く漁港でのことでした。

いつものように竿と網、それから携行イケスをブラ下げて、あっちのコーナー、コッチの杭…というように、眠い目を擦りながら歩いていた私たちでしたが、どうも目ぼしい魚は見当たりません。

そこはかつて「コブシメ赤ちゃん」を捕まえたこともある漁港。来れば必ず面白い魚をgetできる「お気に入り」の場所です。だから朝早くからご飯も食べないで来たというのに・・・。私たちは諦めきれない想いでおりました。
(今日はダメかもしれない・・・)
そういうことですね。

すると横にいるA君の囁くような声…。
「お、おい、クラゲがいるだろ?ほらアソコ…。」
そこで私が彼の指差す先を見ますというと、岸壁からすぐの水面に、傘の直径10センチ程度の無色透明な物体が、
(プカプカ・・・)
というように漂っています。そしてそれは朝の光を受けて、ときどきにキラキラと輝いておりました。

(なんだクラゲか?)
私は一瞬詰まらない想いに囚われましたが、よおく考えてみると、
(待てよ、「歴戦のツワモノ」の彼が、たかだかクラゲ1尾を指差すなんてことがあるだろうか?)
ということなのでありまして、私はもう一度、今度は真剣に目を凝らしてみたのでした。

すると・・・。傘の真下になにやら動くもの・・・。

「エボシダイかハナビラウオか、クラゲウオだろうな・・・?」
A君が再び横から話し掛けてきました。私は興奮した声で返しました。
「そ、そうだね!」

その時、私の脳裏には一瞬にして昔の本の写真が浮かび上がりました。それは内田恵太郎先生の名著「稚魚を求めて」(岩波新書)の1カット、「エボシダイ」稚魚の標本写真です。小さな白黒写真であるそれは、カメラで撮ったというよりもむしろイラストに近いイメージで私の記憶に鮮明に残っていたのです。

手塚治虫氏が描いたような雰囲気を持つその写真。確か目が大きくて尾ヒレが長くて・・・。しかし記憶にあるのはそんなところだけ。だから
(具体的にどういう「すがたかたち」をしていたか?)
は一向に思い起せません。

が、いつまでも記憶の糸を手繰っているワケにも参りません。私たちは手分けして、このクラゲの下にいる魚を掬いあげることにしました。で、用心深くコレを捕らえて、これまた慎重にイケスに移してみたのですが・・・。

(ま、マズイ!)
二人が声を上げてしまったというのも、あれだけ注意をして扱ったというのに、イケスに移したそのとたんに、
(ヒクヒク!)
と痙攣を始めてしまったのです!
こりゃヤバイです。
(なぜそうなったのか?)
とか、
(どうすりゃ良いか?)
なんて場合じゃありません。

で、私たちはどうしたかというと、慌ててコレをリリースしたのでして、さてその「魚」は辛うじてフラフラと深いところへ泳ぎ去ったのでありますが、ある一点に思い至った私は悔しいことしきり。

(あああ、写真撮るの忘れてた!あれは「エボシダイ」だったのか?「ハナビラウオ」だったのか?それとも「クラゲウオ」?)

この辺が
・研究者たる専門家
と、
・飼うのを採るのが専門の採集家
の違いなんでしょうね。

良いとか悪いとかは、私にはよく分かりませんがね…。




上が内田先生著「稚魚を求めて」に載ってた写真の模写。下がハナビラウオ(のつもり)。比べてみれば違いは歴然だが、慌ててたので、良く憶えていない。

どちらもその生態がハッキリしていない。「ハナビラウオ」は採集されることが稀なのだそうだ。注)

注)山渓カラー名鑑「日本の海水魚」

(01.01.28)

今でもやりたい「コチ釣り」

私の田舎は瀬戸内海に面したO県の、そのまた少し山の中の、ちょっと淋しい村なのでありますが、毎年夏休みになるとそこへ遊びに行くのが楽しみで楽しみで…。

とにかく自然に溢れてましたからね。泳ぐのは近くの川や灌漑用の「溜池」。田んぼの真中にポツリと立つ「つちみせ」という屋号の「よろずや」(今でいうコンビニですな)で、出来の悪い「水中銃」などを買ってきて、ニゴイやギギなどを突いては遊んでいたワケです。

遊びで移動するのはほとんど徒歩。一山も二山も越えて遊びに行ったものでした。たまにはおじいさんの自転車を借りたりするのでしたが、これが牛乳配達用自転車のごとくにゴツいヤツで、子供の私には操縦が難しい。そういや「女乗り」なんてやってましたっけ。跨ぐのができないので、三角のシャーシの間から足を斜めに入れて漕ぐんですね。近所のおばあさんなどには良く注意されてましたっけねえ。
「syun坊!あぶねえでえ(危ないよ〜)〜。用心せにゃいけんで〜。川にハマるで〜。」

とはいうものの、山や川の遊びばかりでは面白くありません。そこで
「夏休みなんだから「海」に行きたいなあ・・・」
なんてことを洩らしますと、おじいさんが決まって連れてってくれるのが瀬戸内海に浮かぶS島。この道中がまた楽しい。だってI鉄道というマッチ箱のような軽便鉄道に乗れるのですから。ガタコン、ガタコンと小刻みな振動の心地よさ。「川面(かわも)」などという風情のある駅名・・・。懐かしいなあ・・・。

さてさてそのS島。軽便を乗り継いで、今度はさらに港から小型船に乗って行くのですが、今はどうだかは知りませんが、大変に水と砂がキレイな場所でありまして、私は海水浴場に着くなり、水遊びに熱中いたすのでした。

波の穏やかな瀬戸内海。子供を遊ばすには良い場所です。おじいさんは「海の家」で安心しきってビールをグビリ。そのうち寝転がってしまいます。

ところで私はこの海水浴場でやってみたくて仕方がないことがありました。それは「海の家」の横に開いている「釣堀」。「釣堀」といったって、ちゃんとしたものではなくて、金魚掬いで使うような平たい容れ物が砂浜に置いてあるだけ。そしてその中には何だか茶色くて細長いような生き物が、ドベッって感じでいるんですが、1回何十円か何百円かでこれを釣らしてくれるのですね。面白いのは餌なしというところで、「錨」状の釣り針を、底を這わして、要するに引っ掛けて釣らせるのです。

私が興味を感じたのはそういう「釣り方」ではなくて、中にいる生き物の方でした。ただ横たわるだけの「無芸」なヤツがたまらなく可笑しかったということですな。そこでウトウトしていたおじいさんの手を引っ張ってきては、
「ねえ、おじいちゃん、この魚なんていうの?」
といったことを聞いてみるのですが、「海」になんか年に1回しか来ないようなお百姓さんには分かろうはずもなく、
(そげえなこと、どうでもよかろうが・・・)
といった表情しか浮かべません。もちろん、
「syunよ、やってみい。」
なんてことは口が裂けても・・・。
私は何回も目で、
(ねえ、やらしておくれよ。釣って帰って調べるんだからさあ・・・)
と訴えるのですが、ケチン坊のおじいさんときたら絶対に「ウン」とは言いません。私も子供、あまりダダをこねて置いていかれては困ります。だからそれ以上には突っ込めませんし、言葉も通じそうにない釣堀の主人に話しかける勇気なんか尚更にありません。

で、いつの年だって私はその「釣堀」を横目に
(なんて名前の魚なのかなあ?)
という疑問を抱きつつ帰って来るしかなかったのですが、今振り返ってみますと、
(どうもあの生き物いや魚は、『コチ』だったのではないか?)
ということに思い至るのであります。
そして、
(こりゃ確かめに行かざるを得ないか?)
と考えたりもするのですが、
(ああ、おじいさんはもういないんだった・・・)
このことに気が付くと、その気持ちも萎えてしまうのでありますね。

さあてどなたか「コチ釣り」のその後をご存知ないですか?今でもやっているのでありましょうかねえ?


こんなような感じだった。なんだかナマズみたいな印象があるなあ・・・。

話は変るが、以前の東京近辺M半島の海水浴場では、そういった底の浅い入れ物に「チョウチョウウオ」をいれて売ってた店があったという。沢山取れた時代の話なのか、海水魚の飼育書に「採集」の記事が必ず載っていた時代の話なのか、それとも同じ時代だったのか?A君から聞いた話・・・。

(01.02.04)


タコ君大脱走

やっとのことで打ち合わせが終わり、さて帰り支度をしながら窓の外に目をやると、辺り一面はうっすらと雪化粧。
(う、これは早く帰らないと・・・)
2001年に入って数度目の雪に、私の気持ちは少なからずウンザリとしてきたのでした。

と、A君の、
「今日も、タコ見てく?」
という誘い。

実は彼、2週間ほど前に拳大の『イイダコ』君を手に入れて、これを大事に大事に飼育していたのでありましたが、環境にも慣れて餌付けも済んだということで、さて私に給餌の様子を見せ、その感想を聞きたかった・・・ということらしいのですね。

もちろん私も以前にこのタコ君には会っているのですから、天候のことを考えれば、
「いいよ。今日は・・・」
と断われないこともない話だったのですが、例によって頑固なまでの誘いに私も首を横に振ることができず、結局は彼に従って水槽部屋へと歩みを進めざるを得なかったのでありました。

さてその部屋の突き当たりの水槽には、レンガのタコツボが、
「デ〜ン!」
とばかりに放り込んであって、総ガラスの洒落たその水槽には随分と不釣合いな印象を抱いたものでしたが、A君はそんなことなど少しも気にする風もなく、その水槽をバックに、おおよそ次のような講釈を始めたのでありました。

「え〜とだな、『イイダコ』はだね、『マダコ』なんかと比べると水質にウルサクなくてね・・・。」

彼の一種厳かな口調は、私にはまるで大学の先生かなにかの講義のように聞こえました。なぜかと言いますと、私には『タコ』の飼育経験がなく、というのも、そんなものを水槽に入れたアカツキには、我がいとしき『オトヒメエビ』君などは一晩のうちに食われてしまうのはアキラカなのでありますからね。だから当然そんな無謀なことはしないし、従ってその飼育方法なんてのは知るハズもないのですから、彼の話というのが私には知らないことばかり。つまりそんなことを知っている彼のことがスゴク偉大に見えちゃったりしたからなのですね。

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、A君の「講義」はいよいよ熱を帯びてきたようでした。
「でね?『マダコ』なんかは少し硝酸塩値が上がったりすると水槽から逃げ出しちゃうんだ。でもね、この『イイダコ』は大丈夫。飼いやすいタコなんだぜ。こりゃ良いペットになるぜ〜、うひひひひ!」

私は以前に宮崎の田中先生が、我がbbsで、
「今年はイカ・タコがもてはやされるかもしれませんね」
といった主旨の発言をされていたことを思い出して、
(おお、そうか〜!)
なんて感じ入っていたのですが、ふと彼がバックにしている水槽を見るというと、タコツボから姿を現した件の『イイダコ』がガラス面を器用に這い上がり、挙句に上部のヘリに「腕」をかけて今にも水槽外へ這い出しそうにしているシーンにびっくり仰天!
「おおおおおおおお!で、で、で、出る〜。」
大きな声で叫んだのでした。

もちろんA君もこれには大慌て!すかさず手をかざしたところ、気配を察した『タコ』君はスゴスゴとタコツボの中・・・・。何とか大脱走の椿事だけは避けることができたのでありました。

さあそれからというもの、
「何だよ、うそつき!何が水槽から出ないだよ〜?危うく出るところじゃなかったじゃないか!」
と繰り返しからかう私に、
「違うってば!あれは餌をくれると思って近くまで来ただけなの!」
とムキになって反論するA君。いやはや可笑しなことといったら・・・。

結局はですね、
「大事に至らなくて、いがった〜!」
二人の結論はそこに落ち着いたわけなのですが、帰りの車の中で私が声を出して一人笑いを洩らしたのは言うまでもありません。

何て楽しかった一瞬!私が
(『タコ』、飼ってみようかな〜)
そう思ったのも、また言うまでもないことなのでありました。



知らん間にペタペタとガラス面を這い上がってきた。「水から出ない、出ない」って説明するからスッカリ信用してたのにい・・・。私は思わず逃げ腰になったぞ〜。びっくりさせるない!

やっぱ、「餌くれ!」って出てきたのかもしれないね。



(01.02.10)

迷探偵「Watsyun」の推理

私、トッテモ「つまらないこと」に心を奪われてまして…。

最近、「画廊」に載せるイラストばかりを描いて一人喜んでいるのでありますが、
(コメント欄にどんなこと書こうかな〜)
と、色々と調べたりしてますとですね、
(あはん、そうだった。名前の由来はこんなところにあったんだ!)
な〜んて改めて気が付いてしまうことがあるのですね。

例えば、「ウミヅキ」は「海月」で、
(うーん、こりゃ風流ですな〜)
とか、トゲチョウの「トゲ」は「Thread」で、
(そのマンマであるなあ〜)
てなところでありますね。

が、
(やっぱりじぇんじぇん分からない・・・)
というのも多い。
これも例えば「ヤリカタギ」。由来については、
・槍の模様を染めるための形木(形板)の意
と解釈する人もいるようですが、真偽のほどはイマイチですし、「ナメラ」とか「アブラ」なんてところになると、浅学非才の私などには皆目見当がつきません。ある意味、民俗学とかの知識がないと分からないんじゃないでしょうか、こりゃ。

ところで冒頭に述べた「つまらないこと」というのがですね、実は「チョウハン」の名の由来に関することなのでありまして…。

キッカケは、あるところで聞いた「ちょうはん」という言葉の響き。私はこれに妙にピンッと来るものを感じまして、それがどうしても頭から離れない。さてその言葉というのは、
「熊坂長範(くまさか ちょうはん)」という盗賊の名・・・。
つまり私は、
(「チョウハン」は「(くまさか)ちょうはん」から来たのではないか?)
という思いに囚われてしまったのです。

こうなるとある程度のメドがつくまで調べたくなってしまいますね。そこで私は手っ取り早く、インターネットでの検索を試みてみました。

すると先ずその人物像がおぼろげながら掴めてきました。どうも義経とか弁慶の時代の盗賊で、山中で人を襲っては身包み(みぐるみ)を剥ぐということをやっていたらしい・・・。でもこれだけじゃ「チョウハン」との接点が見つかりません。
(やっぱ単なる「語呂合わせ」で終わっちゃうのかなあ・・・)
私は自分の想像が結局は「つまらない」ものであるように感じられてなりませんでした。でもここで諦めるのも悔しいです。それに、違うなら違うという「確信」が欲しくもなりました。

で、第2回の検索。
すると、すると!意外な結果が私を待っていたではありませんか!それは、
・「熊坂」は「能」で演じられることがあり、その「熊坂」は「長範頭巾」という、目だけを出す「目出し帽」のような「頭巾」を被っている・・・
という事実なのでした!

私は少々興奮してしまいました。そうなのです、あの「チョウハン」君の狸(或いはアライグマ)のような顔!「頭巾」を被ったようなあの風貌!

どうです?「つまらない推理」でしょ?というか、もう私の頭の中では、
(コレで決まり!)
です。違ってたら違ってても(違ってるに違いないけど、何言ってんだろ、私・・・。)良いような気持ちですね。それにしても、ああ、なんと楽しくワクワクする1週間であったこと!

いかがですか?たまにはそんな推理をしてみるのも楽しいと思いますがねえ・・・。

因みに、勢いを得た私は(調子に乗っちゃって)、某「能財団」へ以下のようなDMを送ってみたのですがネ。
「『長範頭巾』って、どんなものなのでしょうか?ヘンテコな質問でスイマセン云々・・・」
そして時間を置かず、すぐに返事を戴いたのには驚きました。
「詳しくお知りになりたいのでしたら、是非とも能をご覧くださいませ・・・」

ごもっとも。「机上」ならぬPC上の推理だけじゃあ根拠がなさ過ぎますものね。

「熊坂」、観に行こうかな・・・。



(01.02.21)

齢四十七にして「化粧」

これにはチョイとした背景があったのですが、Mという広告AGから、
「当社クライアントの広告にご出演を・・・」
という主旨の書き出しで始まるメールを頂戴したのは、2月初旬のこと。

広告に「出演」だなんて、まるで「ゲイノー人」のようでありますが、媒体はTVじゃなくて某雑誌。いちおうこのsyunさん、過去に専門誌の取材を受けた経験もありますので、その辺の雰囲気はなんとなく分かります。ですから私、何のためらいもなく、
(ハイ、よござんす)
と、それこそ軽い気持ちで返事を出したのでありました。

が!

1週間後、「事前取材」で我が家を訪れたスタッフが、帰り際に放ったお言葉というのが、
「では○○日、改めて撮影に参ります。その際は『ヘア・メイク』も連れてきます。で、髪とお顔の方を整えさせていただきますので、どうかヨロシク・・・」

「げげ!め、メイク・・・!」
『ヘア・メイク』というギョーカイ用語に、
(ハ○てなくて良かった・・・)
私は喉元まで出かかったギャグを思わず飲み込んでしまうほどの狼狽ぶり。
(いったいどう心構えをすればよいのやら・・・)
それから撮影日までの1週間というもの、私がドキドキ、ガチガチの日を送ったのは言うまでもありません。

さて撮影日。機材の設置で忙しく動き回るスタッフを緊張の面持ちで見守っておりますと、
「ではSさん?そろそろ『本番』です。準備をしましょうね。椅子にかけてくれますか?」
という「メイク」さん(この若者が俳優のようにかっこ良い!)のお誘いです。

「げ、『ほ、本番』!」
(もう何にでもびっくりしてしまうsyunさん・・・)
私は顔は笑ってはいるものの、もう緊張の極み。右手と右足が一緒に出ちゃう有様です。でもここまで来て、
「やっぱ辞めます!」
なんて言えませんよね。
で、始まったんですね、お化粧が・・・。

まず椅子に腰掛けますと、床屋さんでやるように首の部分から下に布を被ります。次に「油取り」で顔の油分を取ります。それからスゴクいい香りのする白粉(おしろい)のようなものを塗って行きます。きっとファウンデーションとかいうやつでしょうね。それが終わると、眉墨(古いねえ)で眉を描いて、最後は髪型を整えて行くのですね。

さてそういうような状況になってきますと、コリャもうジタバタしたって始まりませんし、私にも何となく「余裕」みたいなものが生まれてきます。それにこういう経験なんて2度とできるものではありませんから、私は途中何度か「メイク」さんに話しかけてみたのですね。思い切って・・・。

私:あの〜、こういうご職業は長いんですか?
「メイク」さんは作業を続けながら嫌な顔もせずに応えてくれました。
メ:ええ、こうやってね、人の顔や髪などをいじくることばかりやってます。
そういう彼の指は、まるで女性のそれのように私の顔をやさしく撫で回しています。
私:ほほ〜。じゃ、ゲイノー人なんかも?
メ:もちろんです。有名歌手とかタレントさんもお客さんですよ。
私:げげ!(こればっかし・・・)

私は顔に当たっているスポンジが、
(もしかしたらタレントの顔に触れていたもの「そのもの」かもしれない!)
なんてなことを想像して、
(藤原紀香だったらどうしよう…。このスポンジ舐めちゃおうかな〜!)
と、ミョーに興奮してしまったり、
(和田アキ子だったりしたらやだな〜)
と、がっかりしてみたり・・・。

と、そうこうするうちに、カメラマンさんたちの、
「はい、本番行きまーす!」
の声。私はあいも変わらず右の足と右の手を一緒に出しながら、彼らの指し示す水槽の前へと歩いて行ったのでした。

それから後は、これはTVなんかで皆さんがご覧になっているとおりのシーンでありまして、ライトを浴びた私は、間断なく続くシャッター音の中で、あっちに向いたり、首を傾げてみたり、果ては、
「はーい、いいですよお!今度はちょっと笑ってみましょうね〜」
の声に、ヒクヒクと引きつった笑顔を作ってみたり・・・。

で、約2時間ほどが、アッという間に過ぎてしまい、家内が淹れたコーヒーを飲むのもそこそこに彼らスタッフは帰って行ってしまったのでありますが、「化粧」をされたままに残された私も、その頃には何とか落ち着きを取り戻し・・・

さて家内に向って、
(ははは・・・。syunさん『デルモ撮影会』終了!)
溜まりに溜まっていたストレスを吐き出さんとギャグを飛ばしましたところ、彼女ときたら、
(じゃ、アタシは『ジャーマネ』か?)
なんと上手い切り返しじゃありませんか。
さすが我が妻。私は軽く膝を打って、ふふふ・・・と笑ったのでありました。

というわけで、「syunさん初化粧顛末記」はこれでおしまい。

それでは、(ギョーカイ風に)
「おつかれさまでした〜!」


了解を戴かずに掲載しますので、「ハンサム・メイク」さんのお顔は載せられません。悪しからず。あと、私はモーホーではありませんので、くれぐれもお間違いのないように。


(01.02.27)

半ケツと「貝の御土産」

高校生の頃、電車とバスを乗り継いで通ったのはS先生直伝のKの磯。ゴロタ石ばかりのその磯は、我らタイド・プール派には大変に苦手な場所ですが、お気に入りの「ハコフグ・チビ太」が必ず採れるのが嬉しくてたまらず、飽きもせずに何度も足を運んだものでした。

いつのことでしたでしょうか?そろそろ潮が引き始めようとした頃に到着した私達は、先ず水に入る前に、小さな湾の中央に浮かんだ生簀のチェックへと向いました。今にも抜けそうな板の「渡し」を注意深く進み、その先の生簀の上から水面を覗き込みますと、お目当てのハコフグのちょっと大きいのや、ウミスズメのデッカイのが付いていたり、或いはニジギンポがひょうきんな顔で姿を現したりと、まったくドキドキするような光景。

「今日もハコフグのちっちゃいの、採って帰ろうな!」
お互いに目配せをしていると、向こう岸の道路に車の止まる気配です。すると、直ぐにドアが開いて、見覚えのあるS先生のガッシリした体躯!
「おお、なんだ君達、もう来てたのか?」
私達はちょっと照れ笑いを浮かべて、軽く会釈をするのでした。

それから・・・。私達はすぐそばにある漁師小屋へと荷物を移して、さて着替えにかかるワケですが、今度は道を挟んだ畑の方角から、麦藁帽子を被り、真っ黒に、それこそ焼き栗のように日焼けをしたおじさんが現れます。それはまた、まるで人が集まってくるのを待っているかのようなタイミングの良さでした。

するとおじさんは、私達を横目で見ながら漁師小屋の中に入り、何やら隅っこの方をゴソゴソやりながら、いくつかの「箱」を持って出て来るのでした。そして・・・
「S先生の連れか?」
と、『お着替え真っ最中半ケツ状態』の私達に尋ねるのです。これに、
「そうですけど、一緒に来たんじゃないんです。」
とワケの分からない答えを返すと、今度は小脇に抱えた箱を、ホコリを掃いながら嬉しそうに差し出して、
「ワシが集めた貝の標本じゃけど、買わんか?S先生の連れならマケといてやるゾ。1000円でどうだ?」
と聞くのでした。

でもですね、差し出されたそれというのが、どこかで見たことのあるようなお菓子の空箱に脱脂綿かなんかを敷き、そこに小奇麗な貝を無造作に並べただけの、言わば正真正銘の『自作品』。

私達は、
(どうしようか?)
というよりも、
(どう言って断わろうか?)
ってことしか頭に浮かびません。だって財布の中には帰りの交通費とジュース代しか入ってませんものね。こりゃ、逆立ちしたって買えるものではありませんや。それに心はもう「水」の中ですし・・・。

「す、すいません・・・」
私達がペコリと頭を下げると、それを少しはなれたところから見ていたS先生は、ニヤリと笑ったように見えました。そしておじさんはというと、
「そうか・・・」
と言って、別にがっかりする風でもなくその辺に腰をおろし、黙って網の繕いなどを始めるのでした。

張り出し屋根の破れた隙間から漏れる幾条かの光の筋は、おじさんの座っている地面にキレイな縞模様を作っていました。それを乱すのはおじさんの手の影・・・。私達は海パン姿に出で立ちを整えると、脇に置かれた「貝のお土産」に一瞥をくれて、水の中へと入って行ったのでありました。

ああ、懐かしき、半ケツと貝の御土産・・・。



ここ何年かは行ってないけど、どうなっちゃってるかなあ?聞いた話だと、近所で護岸工事始まっちゃったっていうし・・・。見事なイソギンチャク畑も、そのうち見られなくなっちゃうんだろうなあ・・・。

(01.03.03)


「ぼくたち」

2001年の3月某日。

東京駅は八重洲口の近くで、「S会」なる『採集命おじさん』達の集まりがありまして、さて総勢15,6名が、ワイワイ・ガヤガヤ始めようかというちょうどその時でした。

「はい、syunさん、お約束のモノ・・・」
初対面の「もう一人のHさん」が、笑みを浮かべながら差し出したのは茶封筒に入った数冊の雑誌。

それは・・・・・・、我が懐かしき「フィッシュマガジン」でなのでありました。

実を言いますと、その数日前のこと。
「大昔にA君と私が共同で執筆した記事があるハズですから、もしお持ちのようでしたら、見せていただけませんか?」
私は少々図々しいお願いメールを出していたのですが、「もう一人のHさん」はそのわがままを快くきいてくだすって、それと思しき記事の載っていそうな号を探してご親切にも持ってきてくれたというワケなのでした。

さて家に着くなりおコタに直行した私は、先ず一番古い昭和49年5月号を、ドキドキするような気持ちで開いてみたのですが…。

ああ…その52ページに、ありました、ありました!「H島の磯調査…H島のベラたち」!これです。A君と私の書いた記事はまさにコレなのでした。ああ、それにしてもドンピシャの号で見つかるなんて!

昭和49年と言えばA君も私も大学2年の歳であったワケですが、振り返ってみれば25年以上も前のことを何故に良く憶えているかというと、冒頭、つまり書き出しの部分が私のパートだったこともあって、
(導入部分で読者の気持ちをガッチリ掴まないとね!)
そんな風にかなり意気込んで執筆した思い出があるからなので、またこれは決して誇張ではなく、
(どういう言葉を使って、どのように筆(もちろんPCなんて一般的ではない時代です)を進めたか)
ということまで、私はしっかりと憶えているのですからね。だからちょっと見ただけでも、「それ」というのが分かったのでした。

しかし可笑しなもので、いざ我が手になる文章を目にしてみると、コレがなかなか読む決心がつきません。昔の写真を見るときに、ちょっとテレちゃう時ってあるでしょう?ちょうどそんな感じですね。私は随分と迷いました。でもせっかく用意してくれたものを見ないで済ますのも気持ちが悪い…。で、恐る恐る目を進めてみますと…。

(ぷぷぷぷぷっ)
と吹き出してしまったのは、文中の「ぼくたち」の記述。「ぼくたち」です!別に「ぼくたち」が悪いというのではありません。だって大学生ですからね。でも自分達を「私たち」と言わない(言えない)ところが可笑しい。まだまだ子供だったということでしょうかね?

さらに冒頭の文章のダラダラさ加減ときたら、今こうして書いてるのと「全く同じ」。これはつまり
前置きや表現がヤタラに長い・・・というのは何も今に始まったことではなく、ガキの頃からそうだった!
ということなのであって、私は思わず、
(ズリズリとおコタの中に隠れてしまおうか?)
と思うほど。反面、HPに載せている昔話にはいささかの飾りも誇張もないのでアル!ということに改めて思い至るのでして、磨り減った「灰色の脳細胞」もまんざら捨てたはないぞ!ってな風に感心してしまうのもまた本当なのでした。ホラネ、長い表現でしょ?


ところがです。更に目を進めますというと、意外や意外、随分と真面目に書いているものでして、A君筆の「魚種解説」に至っては、「仮称コノハベラ」など「ご愛嬌」の部分があるにせよ、それはそれは十分に読み応えのあるもの。

(真面目に書いてたんだなあ…。「ツンパ」や「フリチン」なんて言葉が出てくる私のHPよりもはるかにアカデミックであるゾ〜!)
これもまた改めて思う感想なのでした。

さて、私の手元には、まだ読み返していない3冊の「フィッシュマガジン」があります。サラサラと見た限りでも、記憶を呼び起こすいくつかのキーワードがあるもよう。それは……

それはですね、いつかお話いたしましょう。



資料提供は「板浜さん」こと「もう一人のHさん」でした。ありがとうございました。

(01.03.18)