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■ピョンピョン、パッ!
(01.04.06) |
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■行く末
(01.04.15) |
| ■純和風 S湾に面した某半島。 その真中よりもチョイと南に位置するA海岸はハイキングコースでも有名な場所。私たちも年に何度かはそこへ採集に行くのでありますが、その「何度か」のほとんどは「春」と決めています。なぜといって、シーズンに入ってしまうと、帰りには大変な渋滞に巻き込まれてしまうから。そのすさまじさと言ったら、下手すりゃ身動きができなくなるほどの有様なのですからね。 しかし、「春」と決めているのにはもっと大きな理由があるからでして、今日はそのお話。 そのA海岸に向かう途中に、入り江のような一角があります。そこは海水浴場でもなく、公園でもなく、単なる船着場みたような場所。訪れる人もそう多くはない、「鄙びた」という表現がぴったりのそこは、狭いながらも、「磯」あり、「砂浜」あり、「藻場」あり、の非常に変化に富んだ「渚」なのでした。 さて、その「藻場」というのが大変に面白い、というか、実に「情緒」たっぷりなのですね。で、その最も旬の時期が「春」。 例えば、藻場のアマモ林の切れた辺りというのが、私が思うに、まるで清流の早瀬のようなイメージなんですね。言ってみればスゴく「純和風」のシーンなんですよ(しかし水の中の「緑」っていうのは、なんであんなに「清清しい」ものなんでしょう?)。その白砂の上に赤いチャガラの3,4cmのものが十数尾漂っているのを想像して御覧なさい!実際、その様子ときたら、 (むむむむむ、こりゃ風流!) と唸ってしまうほどなのです。 更に浅瀬の方へと目を転じますと、これまた白い砂浜には、「ウミヒルモ」のような海草(うみくさ)が群生してたりします。味気ないコンクリートの堤防と、黒が中心の磯の色使いを忘れてしまえば、まるでさんご礁のビーチにいるかのような錯覚に囚われてしまう…。 (さて今年も見に行くか…!) 準備万端いざ出陣と思っておりましたら、あらら、生憎の悪天候…。 「そこ」へ行くのは、どうやらもうちょっと先のことになりそうです。しかたがないので、「絵」でも描いて気を紛らわしましょうかね? あ〜あ・・・。 しかし、春の海もなかなかによろしいものでおます。 ああ、素晴らしき日本の渚!
(01.05.03) |
| ■網を持参で社員旅行 まことに有り難いことに、こんなジジイでも使って下さるところがあって、今のところ何とか無職ではなくなってるsyunさん、毎日毎日、セッセ、せっせとお仕事に励んでおる現在・・・。 #ほんとかね? その会社で「日帰り社員旅行」が催されることになりまして、行く先は鎌倉。所謂「古都散策」というところ。 しかしこんなこと言っちゃあ叱られますが、今時「社員旅行」なんて流行らないと思いません?考えてもみてください。同じ職場で顔を合わせている連中と、本来は休みのハズの日に、またまた顔を合わすワケでしょ?それにバスの中なんてのは大概宴会となってしまいます。酒を飲まない私にはそれが苦痛以外の何物でもない。だから何とか理由をつけてフケてやろうと思ってたのですが、万一それがバレてしまうと、たちまちクビになってしまいます。こりゃ仕方がない、行かざるを得ませんかなあ? ところが旅行日の数日前のことでした。参加予定者に配られた「日程表」に、現地到着後2時間ほどの自由時間が与えられているのを見つけた私は、すぐさま方向転換をしたのでありました。 (あ、やっぱり行ってみようっと!) なぜか?それは、 (2時間あれば海に行けるモンね〜!) ということ。そして当日、私は網とポリ袋、それと「酸素球」を数個ディバッグに詰め、日帰り旅行に参加したのでありました。 さて、バッグのてっぺんからのぞく網の柄に随分と不審がられながらも、バスが八幡宮横に着くと、私は皆にサヨウナラ。通り掛かったタクシーを拾い、運転手さんに告げたのでありました。 「Kの港までお願いシマス!」 腕時計を見ると、集合時間まであとちょうど2時間。こりゃたっぷり遊べます。 が!Z木座からEノ島までの道の混んでる事!やっとこさ着いたと思ったら、私に与えられた時間はタッタの30分・・・。しかしここで引き返しては何にもなりません。そこで駆け足で漁港の隅々を見て回りました。すると・・・。いるいる!カゴカキダイの赤ちゃんが!まだ透明なヤツ! 私の脳裏には内田恵太郎先生の「稚魚を求めて」に出ていた、カゴカキダイ体色変化の図が浮かびました。ポカポカと照りつける太陽。流藻の下の小さな魚達・・・。なんてのどかで良い雰囲気なのでしょう! 私は眼下に見える群れのうちの数尾を掬い、ポリ袋に入れて透かしてみました。 (アハ、やっぱり透明だ・・・) 当たり前のことなんですが、なんだか妙に嬉しくなってしまいましてね、手早くパッキングを済ませ、再び時間を確認しますと、ああ、すでに時間はありません。 私はEノ電の駅へと向かう道を走りながら、思ったのでした (わずか30分の採集…。でも、雰囲気は十分味わえちゃったね〜。) シーズンまであと少し。 しばし待たれよ、採集家諸君!
(01.06.01) |
| ■喜ぶべきか、悲しむべきか 搭乗機は主滑走路に入って一時停止をしました。これから一気に加速をはじめ、いよいよ私たちは空の上。さらに3時間もすれば南の島に到着です。私はこのときがたまらなく好き。日常のゴタゴタから解放されるであろう、楽しき数日間の幕開けの一瞬に他ならないのですからね。 さてエンジン音を一段高くした機は、振動音とともに進みはじめました。そして徐々に加速。もうあと10秒もすれば、軽い浮遊感が私を包み込むでしょう。 が・・・! バリバリ、バリバリ! 乾いたような轟音がしたかと思うと、私は大きく前につんのめりました。シートベルトを締めていなかったら、前の座席に激突していたかもしれないほどの衝撃です。 (????!) 私は何が起こったのかが分かりませんでした。すると飛び立つはずの機は主滑走路をそれ、空とは別の方向へと進路を変えました。 そしてアナウンスが始まったのです。 「ご搭乗の皆様にお知らせいたします。機器に異常が見られるようですので、当機は一旦駐機場へと引き返します。お急ぎのところ、まことに申し訳ございませんが、離陸までのしばらくの間、そのままでお待ちください。」 これを聞いた私。 はじめのうちは、 (まあ、2、30分の話だろうから、そう騒ぐこともあるまい…) と楽観視をしていたのですが、さてそれから10分後、 「機長の○○でございます。改めてご連絡いたします。エンジンの交換を要する重大な欠陥が認められました。」 という案内を聞くに及んで、俄然不安な気持ちになってきたのでした。 (お、おいおい!じゃどうすんのよ?) 機長の声は続きました。 「交換には数時間を要する見込みですので、当機は運行中止といたします。ご搭乗の皆様には、代替便の手配をいたしますので、どうかご安心ください。」 そこで私。 (あ、そうなんだ。じゃ乗り換えればいいのね…) しかし話はこれで終わりません。私たちを待っていたのは、とどめの説明だったのです。 「代替便に関しては乗り継ぎとなりますので、目的地到着は午後4時前後になるものと思われ・・・・・・・・・」 その後も機長の話は続いたのですが、私はすっかり落胆してしまって、ほとんど聞いていませんでした。時計を見ればまだ9時を回ったばかり。あと数時間以上も旅を続けねば目的地に着かないだなんて!丸1日を棒に振ったことになるじゃないですか・・・。 しかし、 (あのまんま飛んでいたら、もっとひどい目に遭っていたかも・・・) ということに思い至ると、怒ったり、がっかりしてても仕方がないのでして、結局は命あっての「魚採り」ということなのでありますね。ここは機長の好判断と考えざるを得ません。命拾いをしたと喜ばなきゃいけないですね。 が、やっぱり納得いかないなあ・・・ なんのための点検なんだよう! 航空会社のバカヤロ〜〜〜! と怒るsyunさん・・・。やっぱ悲しい・・・。
(01.06.15) |
| ■無駄毛の手入れ 今から数年前、潮溜まりに漬けていた採集魚の様子を確認するため、夜の磯に入ったときのことでした-----。 それにしても夜磯は恐い。懐中電灯を携帯してはいるものの、光の輪の中の風景は昼間とは全く別物。勝手知ったるつもりの場所でも、いささかも安心できないのです。 加えて私たちのダラシなさ。昼間はヘロヘロになるまで遊んでしまうものだから、どこに漬けたのだかを判然とは覚えていないのです。いつものことながら、 「あれ〜?どこだったっけ?」 ということになって、おぼつかない足元を確認しながら、あちこちと徘徊する他はないのでした。 さてやっと見つけた潮溜まり。 私は水面に光を当て、イケスの所在を確認しようとしました。が、これが見当たりません。 (あり?おかしいなあ・・・?) そこで昼間の記憶をたどってみたところ、 (あ、そうだ!小さな棒杭にイケスのヒモを結んどいたはずだ!) 私は目印にしていたそれを探しました。すると・・・。ありました、ありました。ちゃんとヒモもかかってます。 私は安心してズボンを脱ぎ、ツンパ一丁の姿になって水の中に進んで行きました。そしてヒモを手繰ってイケスに手をかけようとしたそのとき、妙な痛みが太もも全体と、ふくらはぎの辺りに走ったのです。 プチプチという感じ・・・。 最初は単発的だったのが、だんだんと連続するようになり、ものの30秒もしないうちに、 プチプチプチプチプチ………… これはたまりません。私は、 「うへえ!」 という叫びとともに、慌てて水から上がったのでしたが、掻痒感はしばらくの間抜けません。 改めて懐中電灯の光を照らすと、そこには黒い水面が写るだけ-----。結局、痛さの原因が何であるかは分からなかったのでした。 それからン年後。 今度は昼の日中(ひなか)のことでした。 さんざん磯をほっつきまわって、さて一休みと腰を下ろした水溜りで、火照った足を水に漬けてブラブラとさせていると-----。 プチプチ、プチプチプチ・・・・・・・ おお!あの変な感じの痛みがふくらはぎを襲ったではありませんか! 私は今度は慌てませんでしたよ。何としても正体を掴まなくてはなりませんものね。そこで、出来る限り足を動かさずに視線を落とすと・・・・・・。 無数のイソスジエビやスジエビモドキが、ふくらはぎといわず、脛といわず群がって、私のおケケを毟(むし)っているのです。しかもこやつらときたら、無表情に、そして実に丁寧に、 摘んじゃ、ツン、摘んじゃ、ツンッ♪ ってやってるわけ。 こりゃ痛いを通り越して可笑しかったですね。 それまでは、得体のしれないプランクトンもどきのものが張り付いて、それがプチプチと私の足を食(は)んでるものとばかり思っていたのですからね。 さて、安心したような反面つまんないような感じに襲われた私は、纏わりつくエビ君どもを払いながら、一人ごちたのでした。 「無駄毛の始末にゃ、イソスジエビ・・・・・。なんちゃって」
(01.07.16) |
| ■お気をつけあそばせ 採集をしていると、ふと、 (あ、この魚採ってみようかな?) なんて思う魚に出くわすときがありまして-----。 つい最近のことです。 (一応の目標も達成したことだし、次は少し変ったのを捕まえてみようかな・・・) と、岩棚の下を覗いた私が発見したのは、 (なんだか見覚えのあるような、ないような・・・) 一見してウバウオの仲間であることが分かるお魚さんでした。 ウバウオは飼育の難しい魚です。だから私は一瞬、 (どうしようか?) と悩んだものの、 (たまにはこういう魚もサイトで紹介しよう) と、天井に張り付いた彼を捕獲したのでした。 さて捕まえてみますと、扁平な身体にとがった口。確かにウバウオですが、関東近辺で採ることのできるそれと比べると、顔がデカイ!。 (うひ、正確な名前は分からないけど、こりゃ良い被写体だ!) 私は喜びながら、これをイケスに収めたのでした。 それからしばらくして-----。 イケスの中のモンツキハギやノコギリヨウジの様子を見てみると、どうも様子が変です。呼吸が速くて、目がうつろ。 私は「酸欠」を疑って、すぐに水を変えてやりました。しかし回復の様子は見られません。 「やっべえなあ・・・」 次いで、人工呼吸を施してみました。が、やはり具合は良くならない。ついには横たわってぐったりと・・・。 さて-----。 1年ぶりに採集したモンツキを 泣く泣く海に戻してから3日後でした。 (そういえば、あのウバウオ、なんて名前なのかなあ?) と図鑑を眺めていた私は、目指す魚の写真があったことに安心したのもつかの間、次のような記述を読んでビックリ仰天してしまったのです。 ・ミサキウバウオ・・・中略)体表から分泌される粘液には有毒成分があるようで・・・・・・ -----山と渓谷社「日本の海水魚」より引用 な、な、なるほど!イケスの中の魚たちの具合が悪くなったのは、どうもこの子のせいであったらしいのか! 私はウバウオの仲間に、そんな性質の魚がいることなんて、ちっとも知りませんでした。「毒魚」といえば、ハコフグの他に、ヌノサラシ、それにミナミウシノシタくらいなもの。まさかありふれたウバウオに毒だなんて・・・。 というわけで----- 以下のお魚、生物にはお気をつけあそばせ。 ・ハコフグ ・ミナミハコフグ ・ヌノサラシ ・ミナミウシノシタ ・イボウミウシの類 そして ・ミサキウバウオ 採集中は危険の分散を図って、分けて運んだほうがよろしいですよ。
(01.07.27) |
| ■不思議な遠征 それは不思議な遠征だった。 空港からホテルに向かう車の中で運転手は言った。 「お客さんたち、釣りですか?」 積み込む荷物で、釣り客と判断したに違いない。僕たちは顔を見合わせて、ニコリと笑った。採集です、と答えても良かったが、そうなると説明が面倒臭くなる。だからこういうときの答えは決まっていた。 「ええ、そうです。」 運転手は自分の見立てが正しかったのが嬉しいらしく、笑顔で続けた。 「じゃ、S側は駄目だね。今日は風が強いから船も接岸しないしね。午後からは雨も降るそうですよ。釣りするんだったらY側ね、Y側。でも気を付けてくださいね。」 窓の外に目をやると、木々は右に左に大きく揺れている。 空は今にも泣き出しそうな気配だった。 「お願いですからね。餌で車汚さないでくださいよ!」 何も知らないレンタカー屋の親父の声を背に、僕たちはあえてS側へと車を走らせた。そこには二人で何度も訪れた漁港と磯がある。とにかく状況を見なくては気持ちが落ち着かないのだ。 Y側から島の反対側に向かっては、ほぼ一直線に道が延びている。その道は以前に何度も往復しているはずなのに、景色の記憶は薄かった。が、かつての街並みは、もうそこにないのは明らかだった。僕は探していたものが見つからないような、どこか淋しい気持ちで車を走らせていた。 思ったとおりS側の状況は最悪だった。波は防波堤を越えそうな勢いで迫り、漁港の水面(みなも)は、騒がしいばかりに波立っている。これじゃ何も見えない。仕事にはなりそうもなかった。 仲間が言った。 「あっち側、見るだけ見よう…」 彼が言ったのはTの磯のことだ。二人は防波堤の上からT磯の方角を見た。が、遠くからでも分かるほどに波が荒い。そこでの採集は諦めざるを得ない状態だ。運転手の言うことは正しかった。僕たちは一旦海沿いに走って、それからY側に戻ることにした。 1、2分の間、左に荒れた海を見ながら走ると、右手には記憶に残るホテルのたたずまいが見えた。ドーム状の建物が特徴のホテルだ。さらに2、3分ほどすると、今度は左にS港が見える。そこは、この島の表玄関でもあった。 僕はここであることに気が付いた。 車で合計4、5分の距離、これは結構な距離だなのが、その昔の僕たちは重い荷物を持って歩いていた----- ということだ。 脳裏には、リュックを背負って歩く少年二人の姿が蘇った。不思議なことに、辛かったということは思い出さない。 やっぱり若かったんだな・・・ 思いが通じたのか、助手席の仲間は煙草を咥えながら何かを考えるように、黙って前方を見つめていた。 その日Y側での採集で一通りの成果を得た僕たちは、翌日、A漁港を訪れることにした。そこは以前にカップ麺の容器に入った「ブリモドキ」を採集した地だった。 島の周囲を走る道を右に折れると、海に向かって一直線に下る道がある。両側にはハイビスカスが赤い花弁を揺らしていた。目指すA漁港は降りきったところにあった。 すると僕は、ここでも昨日と同じことを感じた。 この急峻な坂道を、あのとき少年たちは、水の入った重いバケツを下げて、上り下りしていたのだった。民宿ははるか上の山の中腹にあったはずだ。途中の何箇所かの木陰では、休憩をした記憶がある。 カーブでハンドルを切るとき、草むらには二人の少年が佇ずむ錯覚がした。 二人でこの島に来た目的は採集のはずだった。実際、雨と風の中、僕たちはあきれ返るほどに魚採りに没頭した。あっちの磯が飽きたら、こっちの磯。お決まりの行動パターンにいささかも変化はない。そして勿論、お目当ての魚たちを採集したのは言うまでもないことだ。 が、それだけが目的だったのか?と自分に問いかけてみると、どうもそうではないような気がする。本当は、その昔自分たちが歩いた道のりを確かめたかったからではなかったのか? 喜ぶべき成果があったのに、それほど嬉しいという気がしない。思い出すのは昔のことばかり。少しも変らない一面に思い至って安心し、すっかり変ってしまった自分たちを嘆いたりしている-----。 それは、不思議な、不思議な遠征だった-----。
(01.09.08) |
| ■ミステリ作家と遊んだ日 糸井重里氏とその仲間が運営するサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」に、僕と荒俣の採集遠征のもようが掲載されたのは11月初旬のことだった。 紹介者は、18年勤めた会社を辞めて奄美に移り住んだ鳥飼さんというナチュラリスト。ご専門は鳥飼さんだけに「鳥」である。荒俣とは以前からの知り合いで、僕も1年前に紹介されたことがある。今回は忙しい時間を割いて僕たちの魚採りにつきあってくれたうえに、 「こりゃ面白いわい」 と感じたかどうかはわからないが、同サイトの「ハブの棒使い」というコラムに、採集の様子を書いてくださったというわけだ。 ちなみに氏は、「中空」という作品で第21回横溝正史大賞優秀賞を受賞された、新進気鋭の本格ミステリ作家なのである! 鳥飼さんに遊んでもらったは、僕らの採集遠征2日目だった。 それにしても、作家先生宅で酒は飲む(僕は飲まない。断じて飲まない)の、晩ご飯は作らせるの、図々しいとはこのことで、氏も大いに迷惑だったに違いない。ゴメンナサイ、とまずは反省しきり。 ともかく、2台の車に分乗して出かけたのは早朝の名瀬港。 港に到着するまでの間、僕と荒俣は、 「ナンヨウツバメウオを見せてあげたいね」 などと話していたのだが、前の日には行く先々の港で目にしていたそれが不思議といない。確認できたのは岸壁にヘバリついているタコ坊とミノカサゴと、ツノダシくらいなものだ。「面白い魚がいますよ」と言った手前、これじゃ格好がつかない。せめてもと思って差し出した網だったが、鈍重なミノカサゴにさえ逃げてられてしまう始末。結局僕たちはどうにもダラシのない姿をさらすだけだった。 それでもそこそこ満足されたご様子なのは、 「普段は港の水面下などは覗かないですよ。でも、けっこう面白いですね」 ということで、足元にいるホンマモンの熱帯魚には、事実びっくりされた様子だった。 言われて空を見上げてみたが、飛んでる鳥の名前はトンビ以外はさっぱりわからなかった。ま、お互いそういうこってすな、と僕は納得したのであった。 次に訪れたのは、港から30分ほどのマングローブ林。 干潮までにはまだ時間があったが、クモの巣をはらいながら進んだ先には、のっぺりした干潟が広がっていた。最近干潟の生物にはまっている僕と荒俣は、以前からミナミコメツキガニを捕まえたいと思っていたのだが、いるわいるわ。これには驚いた。僕は跳ね上がる泥など気にすることもなく、広がりを増しつつある干潟を、縦横無尽に走り回ったのである。 捕まえたカニは、丸くてつやのある藤色をしていた。まるでキャンディのようだ。足を丸めたそれは掌の上でコロコロと転がった。ちょいと洗って、ポイと口に入れたい衝動に駆られた僕だったが、間近に見る「顔」は恐かったのでやめてしまった。
最後に向かったのは、僕たちの秘密の場所だ。 そこで捕まえたアケボノやセグロなどを見て、鳥飼さんが初めて感嘆の声を漏らした。 「へへ〜!、随分と綺麗なんですね!こういうことだったんですね」 それに対して、 「そういうことなんです」 と僕は笑顔で答えた。馬鹿げているかもしれないが、大の大人二人が、魚採りに夢中になっている理由を少しは理解してくれたかもしれないと思うと、なんだかとても嬉しい気がした。 しばらく遊んだ後に、濡れた身体のままで鳥飼さんに告げた。 「我々はまだまだ遊びますが、どうします。つきあいますか?」 想像していたとおり、氏の答えは、 「いや、大変面白かったですが、私はここらで失礼します」 だった。 氏の目は空に、そして樹の上に向けられていたようだった。僕には帰るという気持ちがよくわかった。心は「鳥さん」に向いていると直感したのだ。きっと森の中で遊びたくなってしまったのだろう。 こういう場合、無理強いするのは、やっぱりいけないことだと思う。僕たちは昨日からの無礼を詫びて、さよならと、再会の約束をした。 次のポイントで、僕は苦労の挙句に、どうしても欲しかった魚の極小サイズを採集した。網の中のそれをイケスに移し安堵の溜息をつくと、遠くの空を見つめた。すると、その下に広がる森の中に、鳥飼さんがいるような気がしてならなくなった。 「お互い、好きなことは、とことん追いかけてみましょうね」 僕はそんな言葉を、鳥飼さんに投げかけた。同時に、早くも次の遠征のことを考えている自分に気がついて、思わず苦笑いを浮かべたのだった。 ------------------------------------------ 鳥飼先生、僕たちのつまらない遊びにつきあってくださって、有難うございました。拙い文章ですが、お礼のつもりで書きました。 また遊んでくださいね。著作のご成功、心よりお祈り申し上げております。
(01.11.16) |
| ■みんな変った? 「ナガレボシ」のイラストを描いていて、子供のころに胸をときめかせて見ていたあるTV番組を思い出した。 「白馬童子」という番組だ。 山城新吾扮する白装束・白頭巾の快傑侍が、悪人どもをバッタバッタとやっつける、今でいう「ヒーロー物」。その白馬童子の愛馬が「流星(ながれぼし)」という愛称だったのだ。 ひとつのことを思い出すと、色んな記憶が蘇ってくる。 僕らの子供時代というのは、ちょうど高度成長時代の入り口付近にあったのではないかと思う。物は豊富にない。遊びの道具は身の回りのもので作ったり、工夫して遊んでいた。石蹴り、缶蹴り、みんなそうだ。 チャンバラごっこが良い例だ。古新聞の刀に、風呂敷頭巾というのは、当時のガキの定番コスチュームだった。 刀は丸めたり折ったりすれば良い。格好は悪かったが、子供の自分にもなんとか作れた。だが頭巾はそうはいかなかった。 そこで母親に頼む。 「お願いだヨウ。頭巾、作っておくれヨウ」 昔の親は面倒見が良かった、というか、一緒になって遊んでたのだろう。嫌な顔もせずに、ちゃんと作ってくれた。しかし子供のほうが一枚上だったかもしれない。あのイカの頭みたいな部分が、しっかり作れるかどうかが、親の偉大さを表すバロメータみたいに思っていた。 「ヨレヨレじゃやだよ」 「角度が違うよ」 と注文をつけては困らせたものだ。 そうして出で立ちを整え、最後は腰に刀を差していざ出陣だが、困ったことに周りは白馬童子や鞍馬天狗ばかりだった。全部が全部「いいもん」で、「わるもん」は一人もいない。それが、ワアワア・キャアキャアと立ち回りを演じるわけで、正義の味方同士の大乱闘は、今から思うと滑稽極まりない。 そんな大騒ぎでも、ルールはあった。斬られたものは、いちおう 「うう〜!」 と言って死ぬ。ただし10秒数えると復活OKだ。 しかし暗黙の取り決めも、すぐにないがしろになる。そのうちに本気のケンカがおっぱじまる。 「8秒で生き返るのはズルだ」 「本気でぶった!」 と他愛がない。刀なんぞは放り投げて、取っ組みあい、掴み合いに発展するのだった。気がつくと、頭巾はいつもズルズルのヨレヨレだった。 泣いて帰ると、 「やり返して来い」 「泣くくらいなら最初から遊ぶな」 とひっぱたかれた。 頭巾を一緒に作るほどにやさしい親だが、一方では威厳も持っていた、ということなのだろう。 昔の親は、「締め」の部分ではやっぱり恐かった、ということだ。 目を我が家に転じてみた。 「ビデオ見ていい?」 最近の娘の口癖はこれである。 「子供は表で遊びなさい」 と言っても、返ってくる言葉は、 「お外はつまんないし、寒い」 である。『子供は風の子』は、もう我が家では死語だ。 「お父さん、やってよ」 とコタツの娘にリモコンを渡されたとき、 「あれえ?映んねえぞ…」 操作に戸惑うだけの、威厳のない親がそこにいた。 時代は変った。親も子も変った、ということだ。 あの頃の、白馬童子の涼しげな目もとが懐かしい。 (01.11.20) |